1954-06-03 第19回国会 参議院 農林委員会 第51号
我々はそういう点からいたしまして、このほかにも指摘できる面がございますけれども、この農業協同組合の一部改正というものは、農業協同組合という看板を削ることである、若しなお農業協同組合という看板を残すといたしますならば、それは農業協同組合が農業会の看板の塗替えだという悪口を言われましたが、今度は何の看板の塗替えか知りませんけれども、私は農業協同組合という看板は偽わりの看板になるのではないかと思います。
我々はそういう点からいたしまして、このほかにも指摘できる面がございますけれども、この農業協同組合の一部改正というものは、農業協同組合という看板を削ることである、若しなお農業協同組合という看板を残すといたしますならば、それは農業協同組合が農業会の看板の塗替えだという悪口を言われましたが、今度は何の看板の塗替えか知りませんけれども、私は農業協同組合という看板は偽わりの看板になるのではないかと思います。
○清澤俊英君 先ほどお願いしておきました続きでございますが、世間一般で言う改革意見というのは、農業会の看板の塗替えでは駄目だと言われている。その意味合を大体あなた方はどういうふうにおとりになつているのですか。今の協同組合が農業会の看板の塗替えで、内容や運営は農業会と同じようなことをやつていては駄目じやないか、こう言うのです。
具体的に申上げますと、廊下あたりも焼けたままでありまして、塗替えもしておりませんし、ここで高柳博士の流れを汲む我が国唯一のテレビの研究がなされておるのかと思つたときに実際びつくりした次第でございます。特にその研究員というものは極めて少数でございまして、研究は十分できない。それで民間で無料でいいから研究に参與さして欲しいというかたがたを数人あそこに入れております。無料でございます。
○尾山三郎君 そういたしますというと、私は予算も何ら変更をしない、又職員の数においても何ら変更はないのだ、こうなると單なる看板の塗替えのように思われる。いやしくも一省を設置する以上、それ相当の権威のある役所にしなければならん。いわゆる今日の農林省と同様なところまでやらなくても、そういうような性格を持つた役所にしなければならん。
参議院の選挙を目当てにして看板の塗替えをやろうということでなかろうかと思いますが、さような考えからであろうとなかろうと、私共はそういう世界的規模におけるところの問題において日本が飽くまでも平和主義に徹して、そうして世界の平和に対して一縷の貢献をする。又そこに日本の生きる道がある。
教育行政の面においても、例えば私などは一番大事なのは設備よりも金よりも人であるというので、いわゆる縣立師範学校を官立專門学校にした、僕はその先頭を切つて働いた男であるが、併しながら学校は看板を塗替えたが、例えばこれを教育するところの教育者をどこで教育するかという、その教育機関は、師範学校のその教授達をどこで教育するかということ、この教育機関がない、だから看板の塗替えだけである。
かように企業体のそのものはマ書簡の趣旨を無視いたしまして、看板の塗替えだけでその場を糊塗いたしまして、而もその從業員には我々が基本的に保証されておりまする自由な組合運動を制約するというこの該法案に対しましては、我々は納得のでき得ないものでございます。
私共はもう保護処分を受ける子供もないというところまで行くことを目指して進んでおるのでございまするから、その意味において私は看板の塗替えであつたにしましても、今度の家庭裁判所となることを喜ぶものでございます。
私どもの方としましては、何をつくれるとか、かにをつくれというようなことを指示しないで、先ほどから御指摘がありましたように、今までの装蹄師会、獸医師会の看板の塗替えに終らないように、まつたく自由につくつていただけるという考え方で進んでおります。從つて装蹄師会においても、今の情勢では社團法人をつくつていくという希望で進んでいるようであります。
あまりそまつな大学をつくりまして、いわゆる看板の塗替えをしたのでは國民を欺くものだと考えます。できるだけ大学の名に値するような学校をつくりたいと考えております。もつとも今までの帝國大学のように研究に專念する、そういうものと新しい大学とは性格が御承知のように違つております。今度の大学は一般的な教養をつけると同時に、專門的な学問や技術をも身につけるようにいたさなければなりません。
今囘の協同組合が、農業會の看板の塗替えに終つてはならぬ。こういうことをよく言われますけれども、それはただ單に農業會の役員が、そつくりそのまま殘つてはいかぬということではなしに、新しく生れるところの協同組合の事業が、農業會の事業そのままであつてはならぬということであると思うのであります。